獅子吼のコラム

獅子吼のコラム 2022/09/15

お寺の掲示板

「お寺に掲示板が欲しい」と

総代さんに懇願したことがありました。

法語で伝導していきたいと気持ちを伝えたところ

「よっしゃ作ったる」と、大変心強い言葉が返ってきました。

そんなやりとりがあって何時か何時かと楽しみにしていました。

ところが、前住職の父が亡くなりそれどころではなくなってしまいました。

その半年後、その総代さんがお亡くなりになってしまい、

掲示板の話は、宙に浮いた状態になってしまいました。

その総代さんは工務店の会長さんで、廃品を利用して作ってあげると言ってくれていたのです。

ですから、買って取り付けるのではなく、手作りのものを作ってあげると・・・。

とても期待しておったのですが夢かなわずとなってしまいました。

以前、友人とお寺の門が閉ざされているという話に至った事があり、唯の風景に成り下がってしまっていいのかと。

自由に寺の本堂に出入りもできず、一体何の役割があるのかと議論したことがありました。

その時に、せめて閉じた門扉などに掲示板などで仏教のことばを掲示ぐらいした方がいいのではないかと言われました。「法語」として様々な念仏者の言葉があります。その言葉に私自身も頷けることがあり、頼もしくもあり厳しくもあり、考えさせられることが多々あったことを思いだし、なんとか掲示板を設置したいと願ったことが始まりでした。

色々と期待しすぎたこともあったのですが、先ずはなんとか自分で掲示板をこしらえてやってみようと決意したわけです。すると、掲示板を見た方が通りすがりに立ち止まり見つめて、また歩き出すという事が起きました。「写真に撮っていって良いですか」と、言って携帯電話で写して行かれたり。縦書きにしていたものを横書きにしてみたときには「縦書きじゃないんかい?!」と愚痴をこぼしながらも読んでいってくださる方も出てきました。

ただ、法語、仏の言葉となると分かりづらいものも沢山あります。私の主観になってしまうのでしょうが、解説ではなく、言葉からあじわった気持ちなどを付けても良いのかなと想い出しました。

そこで、このコロナ禍という寺院においても制限の多い時期で、閉ざされた寺の門ではありますが、掲示板の言葉を中心に新聞を書いていこうと奮闘をして一年が過ぎました。

まだまだ、浅はかな内容ではありますが御門徒さんと法語・言葉を通して、会話が出来るようになってきたところです。

杉本潤

獅子吼のコラム 2022/09/01

娘(当時小学1年生)と私(とーと)

娘 「とーと、今日、『ししゃ』の宿題でたよー」

私 「『ししゃ』?何それ?」

娘 「知らんの?プリントの字を、ノートに写すの」

私 「それは、『ししゃ』じゃなくて、『書写(しょしゃ)』やな」

娘 「違うよ。『ししゃ』だよ!」

私 「いや、『書写』っていうんやで。先生のお話をしっかりと聞かなあかんで」

娘 「ううん。絶対に『ししゃ』。先生が言ってたし、黒板にも書いてたもん!」

私 「じゃあ、明日、先生の言葉をもう一回しっかりと聞いて、ちゃんと黒板を見てきて」

娘 「うーん。。。わかった」

〈 翌日 〉

娘 「先生に聞いたけど、やっぱり『ししゃ』だったよー」

― 疑問に感じながら辞書を引いてみると ―

視写(ししゃ)・・・文章などを見て、そのとおりに書きうつすこと。 『小学 国語辞典』

私 「わぁ、、、とーとが間違えてた。。。ごめんね」(どこかバツ悪く感じながら)

娘 「別にいいよー」(笑いながら)

この様な私の在り方を、仏教では「凡夫」と教えるのでしょう。

『観無量寿経』「発起序」には、「汝はこれ凡夫なり。心想羸劣にして未だ天眼を得ず」と説かれます。「天眼」とは、あらゆるものを見通す仏様の眼で、遠く離れた場所を観る眼、未来を見通す眼などと表現されます。その「天眼」を持っていない私たち人間(凡夫)は、眼前のことしか見えない、そして自分が見えていることがすべてで、それが間違っているなどと疑うこともないのでしょう。

私は正しい、相手が間違っていると聞く耳を持たない。凡夫であることを見失い、何でも知り得ているかの様に振る舞う。なんと傲慢なことでしょうか。娘との生活から教えられる私という人間の在り方です。

もう一歩踏み込んで、相手方も凡夫であるという視点も大切ではないでしょうか。これは相手を軽んじるということでは決してありません。互いに完全ではなく、悪気はなくともごく自然と自分が正しいと主張し、相手を批判する様な凡夫なのです。互いに凡夫として尊敬し合う。そこにはじめて対話が成り立つのではないでしょうか。

最後に、いつぞやのご法話で聞いたお言葉を一つ。

相手が悪いと指を差す。その下の指は自分に向いている

志紀 正機

獅子吼のコラム 2022/08/15

セミ礼賛??

夏がやって来た。僕は少しぽっちゃりで汗かきだから夏は汗だくだ。夏の楽しみだった夕飯時のビールもダイエットのため少し控えている。体重はなかなか落ちない。しかし夏の紫外線は容赦なく頭髪にダメージを与えているのか髪の毛はどんどん落ちていく。数年前に家族で行った海水浴場では頭に直射日光をまともに受け続けてしまった。おかげで毛根に会心の一撃的ダメージを受けた。その年の秋口には家族全員から「こんなに薄かった?」と言われた。回復させるための努力を積み重ねているが未だ回復しない。僕は夏が好きでない。

 曇鸞(476-554)という人に言わせると僕たちは四季を知っているから、夏が嫌いだとか冬が好きだとか、自分勝手に言えるのだそうだ。曇鸞は譬で次のように述べている。「セミは春も秋も知らない。そうするとこの虫は今が夏だということをどうして知ることができるのか」と。この譬を聞いた時、なるほどその通りだと思った。物事は比較できてはじめて今の状態を知ることができるのだ。ちなみにこの譬は十念の念仏こそが往生の道であることを示す問答に出てくる。僕はこの問答を次のように理解していた。念仏往生の道を不審に思う人間をセミが夏を知らないことに譬えて、真実を知らない人間の愚かさを言い表しているのだと。けれどもこの理解では、セミは無知だと言っているだけで、何か納得できないものを感じるのであった。

 毎年夏のセミが鳴き始める頃にこの納得できないものがモヤモヤとしていたのだが、最近ある言葉を教えてもらって、このモヤモヤがすっきりした。残念ながら出典はわからないが藤元正樹師の次の言葉である。「現代における愚かさは、知性なき愚かさではなく、知性に満ちた愚かさである。」と。この言葉を聞いて不図、セミの譬だ!!と思ったのである。どういう事かと言うと、曇鸞は決してセミに知識がないことを言いたいのではないのである。むしろ一年を四季に分けるだけではなく、あらゆる物事を区別し分類し整理し、自分の考えを絶対化していく人間への批判なのだと。

知性を否定するつもりはない。しかし僕たち人間の知性は曖昧で不確かだ。それにもかかわらず、自分の知性を依り処として物事に答えを出さずにはおれない。どれほどの人が自身の答えを問い直しているだろうか。むしろ自分が導き出した答えを絶対化して握りしめている。今の戦争やコロナワクチンを過激に反対する問題などの根っこにあるのは握りしめた答えから出てくる暗い正義感ではないか。身近なとこだと夫婦であってもお互いに答えを握りしめながら闘い続けている。曇鸞は知性を絶対化してそれを握りしめる人間のあり方をこそ「知性を持つ者だけがこんなこと(セミの無知を笑うようなこと)を言うのだ」と批判しているのだ。

続けて曇鸞は「比較することのない生き方に到達した者だけがこれ(十念の念仏が往生の道であること)を言うのだ」と述べる。セミは知性に囚われずに環境をあるがままに受け入れ自由に自身の生を謳歌している。対して僕は、夏が嫌いだとか冬はちょっと好きかなとか、好き嫌い・良し悪し・多い少ないと愚痴りながら満足することがない。知性が作り上げた価値観に囚われて不自由な生き方をしている。この生き方を変えることは容易ではない。おそらく不可能だ。ではどうするか?不自由な生き方の根源(私の知性)を言い当てる声(比較を超えた声)に耳を傾け続けることだけが自由を取り戻す道だと、多くの尊敬する先輩たちが歩いてくれた。僕にはこの道を歩く以外の道はない。

今日もセミの声が聞こえる。その声を聞いても暑いとしか思えない。けれども、比べることのない世界を生きる小さな命ある者に僕の不自由な生き方を教えられた夏である。


小松 肇

獅子吼のコラム 2022/08/01

「石」

真宗中興の祖、蓮如上人のお言葉や行跡を集めた『蓮如上人御一代記聞書』という書物があります。その中で、蓮如上人はある時、このようにおっしゃったと記されています。

「いたりてかたきは、石なり。至りてやわらかなるは、水なり。水、よく石をうがつ」。「水よく石をうがつ」というのは蓮如上人のお言葉ではなく、昔から使われていたことわざで、「雨垂れ石をうがつ」とも言われます。

全文を意訳すると、「とても固いものが石、とてもやわらかいものが水です。そのやわらかな水でも、やがて固い石に穴を開けることができるのです」となるでしょうか。水の雫がぽたぽたと一カ所に落ち続けると、長い年月をかけて岩に穴をあけることがあります。また、水の流れで削られていくということもあります。

 普通はこの「水、よく石をうがつ」ということわざは、「どんな小さな力でも、こつこつと根気よく努力精進すれば、すばらしい成果を得ることができる」ということの例えです。つまりこの場合、わたしが「水」のようにやわらかく小さなものであり、そんな私でも努力すれば「石」のように大きく困難な目標を達成できるという意味になります。

 しかし本当にそうでしょうか。「いたりてかたい」のは、何でしょうか。頑固で、融通がきかなくて、変わりたいのに変われない、穴のあきようもない。そんな姿をとっているのは、実は私のほうなのではないでしょうか。そんな私の心こそが、いちばん固いものなのではないでしょうか。

 水は命を生み、命を育て、そして低きに流れていきます。万物を潤す仏さまのみ教えのことを、古来から仏教者は水に例えてきました。「法水」と言われるものです。石のように固い私の心にも、仏法の水はポタポタと雨垂れのように落ちかかり、そしてやがて穴をあけてくださる。このことわざはそう受け取ることもできるように思います。

「私の心に穴があく」ということは、私の虚飾や虚栄にまみれた頑迷な心が打ち破られ、ありのままの私、煩悩にまみれたこの私と、正面から向き合っていくということでありましょう。

そしてこの『御一代記聞書』の蓮如上人のお言葉は、「ただ、仏法は、聴聞にきわまることなり」と結ばれています。穴のあきようのなかった、打ち破られることのなかった、固い固い私の心に穴をあけてくださる。その力は「聴聞」、すなわち仏さまのみ教えを聞き続けていくことのほかにないのです。

「たとえ一生を尽くしても遇わなければならないひとりの人がいる。それは私自身」。大谷大学元学長の廣瀬杲先生のお言葉です。頑なな心に穴をあけられ、そして本当の私自身に出会っていく。それが私たち真宗門徒にとっての「聞法」の意味なのです。

<初出 自坊寺報> 澤田見

獅子吼のコラム 2022/07/15

冷酒と親父の小言は後で効く

父親という存在は大きいのか、それとも煩わしいものなのか。

私は父親と仲が良いわけではありませんでした。お互い顔を合わせれば厳しい表情になり、自然と言葉も尖ってくる。

しかし、住職であった父親に用事もあり部屋を訪ねるとぶつかる、そして帰り際、鏡に映る自分の表情を見ると毎回嫌気が差すのだが、行く度その繰り返しが続く。

その後父が病気で入院しているときも、なかなか素直にお見舞いに行けなかったし。そして亡くなった姿を目の当たりにしても、素直になれませんでした。

亡くなってから数年が経ち、ぼちぼちと父親との関係も良好になってきていたある日、友人ととある居酒屋さんで呑んでいました。

その友人も私同様、いや私と父との仲が良かったのではないかと錯覚するくらい彼は父親との折り合いが悪く、たまに愚痴をこぼしては美味そうに酒を煽る。

そんな姿を見たときにとても気持ちがわかるなと思いつつ、少し羨ましかった。

今では愚痴も言えんな、と思いつつも。

もし親父がまだ生きていれば今の私なら仲良くなれたか?と思うとそうではないな、やっぱり素直になれん自分がいました。

そんな時たまたま我々が飲んでいた席の柱に、

「冷酒と親父の小言は後で効く」

と一言書いてあるのを見つけました。

よく居酒屋さんに貼ってある酒飲みに対しての一言表記である。

ことわざでは「親の意見と冷酒は後で効く」。

冷酒は最初大丈夫でも酔った時は足元から崩れてしまう、親の言葉はその時は煩わしく思っても、時が来れば自分の足元を気づかせてくれる。といった意味でしょう。

私はその言葉が深く刺さり、すかさず友人に「お前こうゆう事やぞ、じわじわ効くでー」と言っても友人は「あっそ!」ぐらいのもんでした。

父が亡くなったから私は素直になれたのか、それとも素直にならざるをえなかったのか。

学生時代にお世話になった先生が「亡くなった人と一生出遇い続けなさい」と教えてくださいました。今はその言葉がとても大切になっています。

父は私に格言や思い出に残るような言葉を残したわけではない。強いて思い出す言葉を探すなら「丁寧にせえ」ぐらいのもんである。

父はいまだに生き方や生き様、そして死に様を通してじわじわと、今私が大丈夫だと思い込んでいる足元を揺るがしてくるような気がし、そして「お前そんでええんか?」と訴えかけてくる。

あっ、また冷酒が効いてきたかな…

今年は父の7回忌、じわじわと考えさせられる一年です。  

桑田和貴

獅子吼のコラム 2022/07/01

煩悩百八つ【散乱】

 集中力が無い状態で、心が定まらない煩悩。

 次から次へと対象への意識が移り、落ち着きが無く平静な状態ではなく、思慮の浅い言動をする煩悩。

 親鸞聖人は「散り乱る、ほしきままのこころをいふ」「われらが心の散り乱れて悪きをきらわず、浄土にまいるべしとしるべしとなり」と左訓を遺している

 【散乱】という言葉は、日常では部屋などが散らかっていることを散乱しているなどと使われるが、仏法的にはそのように散らかった思考状態のせいで、浅はかな言動をしてしまい苦悩する原因を【散乱】という。煩悩は苦悩の原因である。

 筆者には小学低学年の子どもがいて、部屋を片付けてやると宿題はとても捗る。逆に散らかっているといつまでたっても始めない。私もまたスケジュールが混んでいると、心が移ろい気味で効率は落ち、失敗や失言もしやすい。

 散らかった思考や乱れた生活習慣は、物理的にも身体的にも精神的にも苦悩の原因になる。よって釈尊は【戒】を弟子に定め、生活習慣が乱れないように求めた。

 いきないり脱線するが、【戒】とは、例えばキリスト教の十戒などはテンコマンダメンツと言って、神との契約を意味するので、何が何でも守らないといけない。一方釈尊が定めた【戒】はサンスクリット語でシーラと発音し、「仏教徒が守るべき生活規範」という意味である。であるからして破戒によってバチが当たるなんてことはない。バチは三味線にあたると我が祖父はよく言っていた。コマンダメントもシーラも、その他の多くの宗教の約束事や神との契約などが、【戒】という一つの漢字に訳されてしまったため、仏教の戒律なのかそれ以外の戒律なのか、注意しておかないといけない。

 話を【散乱】に戻すが、経験の浅い者や精神的に未熟な者というのは、特に幼い子は思ったことを後先考えずにすぐ口に出すことがある。

 その拙僧の娘が幼稚園児の頃、自転車の後ろに娘を乗せている時、道ばたで60代くらいの男性がホースで水を撒いている後ろ姿が見えた。腰元にホースの先があったせいで、角度もわざわいし、立ちションベンしていると一瞬私は勘違いしてしまったが、通り過ぎ様にすぐに撒水かと理解した。

 ところが我が娘は「おしっこしてるー」と大きな声で言うのであった。すかさず通り過ぎた後ろから「ちゃうでーっ!」というオッサンの大きな声が聞こえた。すみませんでした。

 今思えば止まり降りて謝るべきだったかしら。そうするべきだったのだろうが、通り過ぎてしまった。まあ子どもの言うことだし男性も赦してくれているだろうと勝手に思っている。それ以来その道を通る度に、娘は「おっちゃんおるかなぁ」と気にしている。

 私にも苦い苦い思い出がある。

 小学5年生だった時、給食の時間の時に、曜日を決めて当番制で長編小説の回し朗読をする取り組みがあった。みんなでどの物語を読むのか決めたので、物語が進むにつれて次はどんな展開になるのだろうとみなわくわくした。読み手当番にも色々個性があって面白かった。私が当番の時などは感情込めて落語調に勢いよく読んだものでクラスで評判になった。法話好きの遺伝のようで自分は人前で発表したりすることが得意だった。

 当然、人前で発表することが苦手な子もいた。

 サトコという女の子がいて、普段は活発でひょうきんな女の子だった。ところが彼女は朗読がとても苦手だったので、聞いている方は物語が頭に入ってこない。教室は徐々にガヤガヤと騒々しくなっていき、つい私は、朗読中の彼女に向かって「サトコへたやなぁ」とからかい半分で言ってしまったのだ。まるで政治家のヤジだった。

 その瞬間である。

 サトコの朗読はピタっと止まって、顔がみるみる内に引きつっていった。アッしまった、調子に乗って余計なことを言って傷つけてしまった、サトコが泣いてしまう! と私が思った瞬間に、バターンと大きな音がしてみんなびっくりした。担任の先生が椅子を倒しながら勢いよく立ち上がったのだ。

 先生はそのままズンズン私の方に迫ってきて、鬼のような形相で私をのぞき込んで「謝れー!」と大きな声で叱ってくれた。凄い迫力だった。サトコは泣くヒマもなかった。

 先生は絶妙なタイミングの迫力の一喝で私を諫め、同時にサトコも救い守った上、彼女を全面的に肯定し、調子に乗っていらんことを言うあさましさをクラス全員に指導してくれた。素晴らしい指導力だと今でも感謝し尊敬している。

 今になって思えば、苦手なのに頑張って緊張しながら皆の前で読んでくれていたサトコの心中を思うと、自分の【慢心】や【散乱】した態度を恥ずかしく思う。頑張っている人を軽い気持ちで茶化して傷つける、それがどれほど重い罪なのか思い知らされた良い教訓であった。

 後日、驚いたことにサトコは私に朗読の仕方を教えてくれと言ってきた。彼女は私を赦したうえ肯定してくれたのだ。そしてなぜイジワルなことを言った自分なのかと聞き返すと、なんと先生が私に聞いてみたらどうだとアドバイスしたというのだ。今思えばサトコの赦してくれる態度も先生の指導も仏の所業としか思えない。

 先生の一喝はとても良い薬になった。朗読を上手な方だと調子に乗っていた自分が恥ずかしい。とても悔いている。

 ところがである。

 人というものは煩悩具足の凡夫である。どれほど痛い目にあってもナルホドと膝を叩いても、【失念】するようになっている。

 拙僧の娘はいよいよ小学二年生になるという時。彼女はまだお椀を持ってご飯を食べようとしなかった。二つ下の姪っ子が上手にお箸とお椀を持って食べていたので、私は焦ってしまった。

 それまでせっかく娘は、機嫌良く美味しく食べていたのに、急に私がくどくど言うようになって、楽しかったご飯を辛い時間にしてしまった。

「お父ちゃんごめんなさい、がんばるから」

としくしく泣く姿を見て、ようやく私は目の前のことしか考えない浅い思慮で、我が娘を傷つけてしまったことに気付く。そして「お父ちゃんこそごめん」と謝るとあっさり赦してくれるのだ。

 作法に則って奇麗に食べろというのは、大人の都合だ。なにも慌てて覚えさせようとしなくても良かった。娘には彼女のペースがあるのだ。

 このように強く後悔しても【失念】して娘を傷つけることは度々あった。その度に娘の方が私を赦し「お父ちゃんお父ちゃん」と嫌うことなくまた甘えてくれるのである。子どもは仏の子とはよく言ったものだ。こんなていたらくの私だ、いずれ娘も成長しわたくしを見限る時がくるだろう。想像するだけで寂しいが、そうなってくれた方が良いだろう。

 【散乱】して【失念】し罪を重ねる凡夫のために、仏事という習慣がある。忘れる私たちのために大切なことを思い出させようとする仏のはたらきなのである。祖先は定期的に仏法に遇う習慣を大切にしてきた。法を聞くということは、自己を見つめ直す大切な時間なのである。

恩楽寺【煩悩辞典】より抜粋

乙部大信

獅子吼のコラム 2022/06/15

オープン外構

 「オープン外構」と聞けば、その言葉を知らなくても、何の事かピンとくる人もいるだろう。家の外壁が無く、庭は生活道路とフラットに繋がっている外構の事である。最近、うちの周辺は、新築戸建の大半がオープン外構だ。外壁が無いので車は2台くらい置けるし、敷地も明るい。明るいので設計士さんがそこにリビングを作るのか、出入り可能の大きな引き違い窓が生活道路に向けてドンと設置されている。

 ただ、それでは不審者が道端から簡単に家に入って来そうで、人様の家ながら、なんとも心許ない。オープン外構は侵入者の隠れる場所が無いので防犯面で安全とはされているのだが。

 もう15年ほど前の話になるが、夫が住職になった時に、わたしはかねてからの要望を伝えてみた。

「山門の扉を常に開けたいのだけど」

 うちのお寺はそれまで行事がある時以外は山門が閉まっていた。少なくとも30年は。常時開けておくとなると、それなりに変革となる。

「ええで」

 夫から、あっさりOKが出た!次は姑さんだ。

「あのー、山門をいつも開けておきたいのですが‥‥」

 すると予想通りの反応が返ってきた。

「そんな事をしたら、用心が悪い!!!」

 やっぱり怒った。

 ここで用意していた切り返しをしてみた。

「お義母さん、門を閉めて外から見えないようにしているほうが、泥棒の隠れる所ができて、危ないそうですよ。ノブユキさん(夫の名)も開けていい、って言ってました」

 そう嫁に言われて、いまいましそうに姑さんはこう言った。

「勝手にしぃ!」

 かくして安楽寺の山門は朝の9時から16時半まで常時開けることになった。本音を言うと、私だってホントは姑さんと同じように、「門が閉まっている方が安心する派」なのだ。でも、「開かれたお寺」を目指していた私にとって、山門を開けることは、その第一歩だと思っていた。その後、「開いた山門から見えた庭と本堂に惹かれて」と、ご門徒になってくださった方がいた。ウォーキングのグループが本堂の階段に腰掛けて休んだり、トイレを借りにくる。外国人の青年が処分してほしいと遺影を持ってくる。詐欺師だってくる。今や寺の山門が開いてることが普通のことになり、閉まっていると「何かあったの?」と門徒さんに心配されるようになった。

 先に述べたようにオープン外構は、私はちょっぴり苦手だ。ではあるけれど、お寺と言えども、将来的にはオープン外構が望ましいのだろうと思ったりする。山門も外壁もすべて無くしてしまうのだ。そうしたら駐車場が広く取れるし、何といっても、本堂を修繕する時に、クレーン車やトラックが、簡単に入ってこれる。そして、外構を作らなければ建築費用だってずっと少なくて済む。お寺の大規模改造など、私の生きている間はないかもしれないが、「お寺だって、オープン外構にする選択肢もあるよ」と息子には言っておこうと思う。

上本賀代子

獅子吼のコラム 2022/06/01

ともに生きる

 約3年前に朋友(親鸞聖人の教えをともに聞く仲間)から食虫植物をいただいた。食虫植物とは12科20属、約500種にもおよぶ植物群で、葉や茎、地下部に独特の形や仕組みの捕虫器官を持っている。虫などを自ら持つ消化酵素や共生しているバクテリアによって消化・分解し光合成だけでは足りない栄養分を補う植物。

 きっかけは、植物に詳しく「みどりのある生活」をしている朋友に、たまたま観たテレビの話を会合後に話をしたことだった。テレビの内容は「食虫植物の魅力」だ。なんともミステリアスな植物であり捕虫することによって栄養分を補っているということに驚いた。なぜなら、植物とは綺麗な花を咲かせるものや葉や茎に特徴のある観葉植物で、簡単にいえば土・水・光・二酸化炭素を栄養分として育つものだと思っていたからだ。私は、ミステリアスな食虫植物の中でも特にウツボカズラ(ネペンテス)という植物に興味を持ち、テレビで得た植物の魅力を朋友に語った。すると、話しを聞いてくれた朋友が「今度差し上げますよ」と言ってくれた。

 それからしばらくして、捕虫袋のついた元気な子(ウツボカズラ)をいただいた。毎日水をやりミステリアスなフォルムを眺めて楽しんでいた。しかし、その楽しみも長くはつづかなかった。冬になり元気がなくなってきたので「植物なら水を与えれば、私が真夏の風呂上がりにビールを飲んだ時のように元気が出る」と思い水をたっぷりあげた。

 弱りつつあったが年を越せた。しかし、春が来る前にその子は枯れてしまった。

 朋友にその事を伝えると「仕方がないですよ」っと私を慰めてくれつつ植物について色々と教えてくれた。私はつくづく基本的な事を知らなかったんだなと思ったが解ったことがいくつかある。

 食虫植物の場合、冬に向かう時期は特に水をあげすぎないこと、15℃以上で湿度の高い環境にしてあげること。また、このようにも教えてくれた。「人間も過保護だと自立していかないように植物も過保護になり過ぎると弱くなります。また、ある程度のストレスを与えること。人間もそうですよね、ストレスというか何くそって時に頑張れるでしょっ」っと。

 いただいた子(ウツボカズラ)の生態を知らず、今どういう状態でどうするべきなのかを問わずして、自分の都合で過剰に水をやり、枯れてない葉を切り落としていたということを枯らせてはじめて気がついた。そう、ただの植物だと生命(いのち)を軽んじている私自身にハッとしたと同時にそのことに気づくのが遅すぎた自分に腹が立った。

 しかし、その反面気づいた事によって植物に対しての見方が変わったことが嬉しく思った。それは、人間は自己の都合でものごとを分別し自己の都合の良い方を選び生きている。そして、そのことによって悲喜し苦悩しているのが人間だが、植物はありのままの現状を受け入れて生きていることだ。無分別に縁そのものを引き受けているさまは仏さまといってもいいだろう。そいうことを植物とともに暮らし植物の生命を通して教えられることが有り難いし嬉しいのだ。

 とはいえ、しょぼくれていた夏の終わりに朋友が「今度は枯らさないように育ててくださいね」とまた元気な子(ウツボカズラ・アラタ)を連れて来てくれた。

 この子は、また過保護なのか捕虫袋はつかないがなんとか元気に育ってくれて冬を越せた。

 さあ、これから君の好きな季節がやってくる。

 ともに生きようではないか。

(稲垣洋信)

獅子吼のコラム 2022/05/15

おもい

 1年前。急いで家を出て歩いていたら、すれ違う人たちから視線を感じました。何故かと不思議に思いながら歩いていた時、ふと見るとガラスにマスクをしていない自分映っていました。「やってしまった」と慌ててハンカチで口を覆い、コンビニに入りました。しかし今はと言うと、日本でもマスクを外す議論がなされています。世界に目を向けると、マスクなどとっくに外して生活している国もあると聞きました。ニュースで最近の情勢を見ていても、日本の常識、私の常識について考えさせられます。

 それはインドに行った時もそうでした。現地のガイドさんから聞いた話ですが、インドは公的医療機関での受診は無料だそうです。それはいいなと思いがちですが、無料だから皆が病院へ行くため常に人でいっぱいで、なかなか医療が受けられないと言う弊害があります。富裕層の人は別の病院を利用すると言います。また、家が貧しくて働かないといけない子供たちがいるのは知っていましたが、なぜかと聞くと、親が子供を学校に通わたいと言う考え方がないらしいです。多くの人が子供は働き、家計を支える1人と言う認識だそうです。それが、いい、悪いではなく、日本の今の当たり前に慣れている私には想像もしなかった事実でした。

 獅子吼の会でも、時々悩みを相談すると「そんな悩むことかな」と別の視野を教えていただいています。私1人では到底考えもつかない「世界」を知る度に、私の「思い」に気付かされます。

 昔は私の「思い」に悩まされていました。しかし今はその「思い」も含め「私」ごと引き受けると言われています。落ち込む癖、マイナス思考が無くなったわけではありません。辛いことも悲しいことも消えたりしないです。しんどいことからは相変わらず逃げたいと思います。でも、インドを想い、獅子吼で活動することが私にとっては私の「思い」に気付かせていただく機会だと、有難いことだったと改めて感じさせて頂いております。そう思う今日もまた私の「思い」にがんじがらめの私です。

合掌(石谷 弥恩)

獅子吼のコラム 2022/04/30

春うらら

ゴールデンウイークも近づいたのに、暑くなったり寒くなったり。春はどうやっても寒暖差に振り回されます。

そんな4月のうららかな日に、末娘が就活のため下宿先から帰ってきました。コロナ禍ということもあるのでしょうか、なかなか思い通りにはいかないようです。それでも、なんとか気力を振り絞って面接会場に出かけていきます。よれよれの普段着とは違い、リクルートスーツを纏った姿は眩しいほどです。喉まで出てきた「ずっと家にいてもいいよ」という言葉を、妻のあきれるような視線を感じやっとのことで飲み込みました。

ふと、昔の自分を思い出します。ちょうどバブルの足音が聞こえてきた時代。同期の女の子たちは証券会社に次々と内定を決めていきます。私も数社は回ったのですが、なかなか決まりません。やっと本山の宗務所に合格した時には、小躍りしたくなるほどでした。

大学の卒業が決まると同時に、いそいそと準備をすませ、指定された日には本山役宅への引っ越しに向かいます。

なかなかの建物でした。鉄筋の集合住宅では京都の一・二を争う古さ、手入れはされているものの否応なく歴史を感じます。ピアノの鍵のような真鍮製の鍵をつかってドアを開けると(開けなくても、直径5ミリはある鍵穴から中が覗けますが)短い廊下があります。その右側にはトイレと洗面台、左側には六畳と四畳半の部屋が並んでいます。ちなみにこの二つの部屋は襖で仕切られ、奥の六畳の部屋に先輩が、年が若いものは手前の四畳半が与えられました。

3月下旬の引っ越しの日は、随分暖かかったことを覚えています。運び込もうと思っていた暖房器具は、置く場所もなくあきらめました。

そして、春の日の寒暖差に襲われるのです。

「2022年4月21日撮影 ここに東本願寺室町役宅がありました。新たにはスーパーマッケットが建つとのことです」

1987(昭和62)年3月31日、明日が初出勤だと緊張していたその日は、突然に寒くなりました。夜になると京都らしく深々と冷えてきます。たまらず早々に布団に潜り込みましたが、目は冴えたままです。

やがて、午前0時を迎えました。すると「ポーッ!ポーッ!」と汽笛が聞こえます。梅小路蒸気機関車館からでした。国鉄が解散しJRとして分割民営化されたその日でした。ニュースで見ていた出来事が急に身近となりました。一つの時代が終わり新たなスタートが切られた日であったのです。そう、始まれば終わり、終わりは始まりなのです。これをお釈迦様は「無常(常ならず)」と説かれたのでしょう。そんなことを考えていると、ほんの少しだけ力が湧いてきて「一緒に一歩を踏み出すか」と眠りに着くことができました。

明けた初出勤からは怒涛の日々です。ちなみに1987年4月2日は、大谷派宗門として初めて「全戦没者追弔法会」がお勤まりになった日でもあり、やはり大きく時代が動いた瞬間であった、と知ったのは随分後になってからです。

そして、今はもうないこの役宅、慣れれば慣れるほど、どこよりも心落ち着く場所になっていきました。やはり住めば都でありました。

さて、あれから35年。本当にいろんなことが始まり終わり、終わり始まりました。私はなんとか変わらぬ「無常」を生きています。

娘にはどんな将来が待っているのでしょうか。もしかしたら「後悔しない」ということはできないのかもしれません。それでも、コロナ禍の中、信じられないことに戦争までが起きる激動の中、じっくりと丁寧に自分の将来と向き合ってもらえればと思うだけです。

おしまい(山雄竜麿)

獅子吼のコラム 2022/04/10

東日本大震災から11年が経ちました。全国各地の有志の寺院では、「忘れることなく、犠牲者に思いを馳せて、今後も復興と支援の思いを繋いでいきたい」という願いで、毎年3月11日に「勿忘の鐘」をつき、法要が勤められます。勿忘(わすれな)という言葉の意味は「忘れることなかれ」。この言葉からいつも思い返されることがあります。

大震災発生からしばらくして、仲間たちと仙台に向かいました。仮設住宅で、現地の方々に大阪名物たこ焼きを食べてもらいたい、少しでもお役に立ちたいという思いでした。現地では色々な方と話をし、感謝の言葉も沢山いただきました。住民の方からは「大阪で何かあったら、今度は俺らが行くから」と言われ、片付けまで手伝ってくださったことが印象的でした。夜になり、用意した材料が全部無くなったので帰ろうとしていると、仲間の一人がこう言ったのです。「昼間、この集落に移動販売の車が来てたけど、俺らが無料でたこやき配ってるのを見て帰ったわ。売れへんもんな。移動販売の人も復興者やのに、あの人の生活を奪ってしまったんやな」。それを聞いてドキッとしました。「配る」と「奪う」は背中合わせにあることを教えられたのです。

日常に戻って、常にそのことを心に保ったまま生活しているかというと、そうではありません。すぐに忘れてしまいます。でも、だからこそ思い出すことが大切なのでしょう。折にふれて、勿忘という言葉から「また忘れてないか?」と問いかけられているように思います。

(森広樹)

獅子吼のコラム 2022/03/25

カラフル

 すっかり春めいて、街中の色彩も華やいできた。暗色からカラフルな装いへの転換期。そんな陽気に浮かれてブラブラ歩いて散策、ついでに電車に乗ってみた。

 しばらく電車に乗っていなかったので、今の車内事情がよくわからなかったのだが、ホームに入ってくる車両にフッと目をやると、飛び込んできた「優先座席」!

 そろそろ席を譲られそうな年齢に達してきたせいだろうか?

 いや、まだまだそんな歳ではないはずだ、と勝手に思いながら、チラチラ目を向ける。

 ん?この車両の「優先座席」の位置が自分の記憶とはちょっと違うし、シートがやけにお洒落、カラフルである。おぼろげな記憶では車両の端にシルバーのシートが設けてあったように思うが、今は車両中央にお洒落なシートが据えられている。

 そもそも優先席は1973年9月15日敬老の日に誕生し、シルバーシートと名づけられ高齢者と身体障がい者の為として設置されたとの事。敬老の日が誕生日だとは成る程と納得する。現在ではピクトグラムに表されてる方々、「お年寄りの方」「からだの不自由な方」「内部障がいのある方」「乳幼児をお連れの方」「妊娠している方」が優先的に使用できる。その上、海外の方にもわかりやすく丁寧に「日本語」「英語」「簡体文字」「ハングル文字」で表記されている。

優先だから空いていれば座れるのだが、必要な方が居れば、当然即座に譲ろう。譲られるかもしれないが。

 それにしても、優先座席が車両真ん中にあり、お洒落なシートに変わっていく、片隅に追いやられていた人に目を向け、彩りを添える。素敵な発想!JRお見事だ。

 多様性社会と言われて久しい。優先座席に象徴される表層的多様性ももちろんであるが、同時に互いの価値観や嗜好等に現れる深層的多様性に関しても、身近な事柄ひとつひとつに目を向けながら、ココロにカラフル(多彩)な装いを纏(まと)いたいと思う1日であった。

(三好泰紹)

獅子吼のコラム 2022/3/10

ちよっとお薦めの一冊、

『ネガティブ・ケイパビリティ』という本を読みました。

これは、帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)さんという精神科医であり、作家でもある(今時はやりの二刀流?)方によってあらわされた「ネガティブケイパビリティ」、ちょっとしたブームの著書です。「答えの出ない事態に耐える力」という副題の通り、どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力。あるいは、性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力、を意味するそうです。

顧みれば私たちの育ってきた環境は一刻も早く正確に答えを出そうとする方向の教育を受けてきました。職場では、てきぱきと仕事をこなし、判断し、他人にも指示が出せるリーダーシップなどの、ポジティブケイパビリティばかりを求められ、それをよし、としてきました。

今、ネット社会を中心に、短絡的にくだされた判断による誹謗中傷や、フェイクニュースによる被害などが大きな社会問題となっています。これらの問題を語るとき、「SNSなどがあるからいけない」、的な発言をよく耳にしますが、それは本質ではないでしょう。つまるところ使う人間の問題です。そんな時代だからこそ、物事はそう簡単に答えの出ないものにあふれており、善し悪しの判断など、とても時間を必要とすること、そもそも答えの出ないものの存在を知り、判断を保留し据え置く能力に注目が集まっているのでしょう。医療の世界だけでなく、教育の現場や、福祉、はたまたビジネス、様々な分野において、簡単に「分かったつもりになろう」とする私たち人間の脳の特性は「共感」することを拒み、傷つけあい、生きづらい社会を生み出してきたようです。そのことに時代がやっと気づきだしているのかもしれません。

『歎異抄』の「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」の言葉が思い起こされます。これは、「ネガティブケイパビリティ」とは、似て非なるものです。なぜなら親鸞聖人のこの言葉は「私は善悪についてはまったく知らない」といっているからであります。その善し悪しが言えるとしたなら如来の心に思っておられるほどに知っているのならいえるだろうけども、と。「ネガティブケイパビリティ」の方はやはりそれも自分の能力ととらえるわけですから単純にこの二つを結びつけようとは思いません。

しかし、物事を簡単に分かったようなことにして切り捨てていくのではなく「分からないけれどこれは大事」と気づくこと。今の時代にとても大切なことだと思うのです。寺離れが言われて久しく、真宗の教えが伝えにくい時代を迎えていますが、こういう方向の考え方に人々の目が向き始めている、ピンチはチャンスかもしれませね、お薦めです。

いつの時も人は真実を求めて生きているのだと、改めて気づかされた一冊でした。 (宮部渡)

2022年1月1日

『亡き父から願いをかけられて』

 冬になると実家の本堂の寒さを思い出します。父親にとにかく一緒に座れと言われ小学生のころから朝の6時からのおつとめ(お朝じ)が日課になりました。子供の頃の朝の6時は早い。特に冬は寒くて布団から出るのがつらい。結局本堂に参らなくて父親に叱られたこともたびたびありました。

 そんな小学生の頃は仏さんというのは願い事をかなえてくれるものだと思ってました。当時父親にそのことを話すと「かなえてくれるかどうか好きなだけ阿弥陀さまに願い事をしてみなさい」と言われので、お年玉たくさんもらえるようにとか、雨で運動会が中止になるようにとか数え切れないほどの都合のよい願い事をしました。

 それで中学生になると父親に「どうだ。願い事を阿弥陀さまは聞いてくれたか」と聞かれ「何をお願いしても何を頼んでも、全然聞いてくれないのがうちの阿弥陀さんだということがわかった」と答えました。そしたら「自分の願いをかなえるよりももっと大切なものがあるんだよ」と言われましたが、その時はそれは何だろうと子供心に思ってました。大人になり聞法を重ねるにしたがって、欲望をかなえるのでなくて罪深い自分の姿を気付かせて下さるのが阿弥陀さまだと分かりました。それが分からないから私たちは自分の都合のよい願い事をするのでしょう。

 願い事というのは自分の思いを満たすためにするものですが、そうでなく子供に対する親心というものを考えてみると、私には2人の子供がいます。長女は家を離れ仕事に就き一人暮らしをしています。しかし親は子供が離れれば離れるほど心配し護るのが親心でしょう。ましてや仏さまは私たちがお願いしなくても護念し続けて下さっている。亡き父から今も願いをかけられている私です。〈松尾智仁〉

難波別院に就職する前日に父親と撮った写真です。丸坊主にしました。40年前の写真です。