獅子吼のコラム

獅子吼のコラム 2022/04/30

春うらら

ゴールデンウイークも近づいたのに、暑くなったり寒くなったり。春はどうやっても寒暖差に振り回されます。

そんな4月のうららかな日に、末娘が就活のため下宿先から帰ってきました。コロナ禍ということもあるのでしょうか、なかなか思い通りにはいかないようです。それでも、なんとか気力を振り絞って面接会場に出かけていきます。よれよれの普段着とは違い、リクルートスーツを纏った姿は眩しいほどです。喉まで出てきた「ずっと家にいてもいいよ」という言葉を、妻のあきれるような視線を感じやっとのことで飲み込みました。

ふと、昔の自分を思い出します。ちょうどバブルの足音が聞こえてきた時代。同期の女の子たちは証券会社に次々と内定を決めていきます。私も数社は回ったのですが、なかなか決まりません。やっと本山の宗務所に合格した時には、小躍りしたくなるほどでした。

大学の卒業が決まると同時に、いそいそと準備をすませ、指定された日には本山役宅への引っ越しに向かいます。

なかなかの建物でした。鉄筋の集合住宅では京都の一・二を争う古さ、手入れはされているものの否応なく歴史を感じます。ピアノの鍵のような真鍮製の鍵をつかってドアを開けると(開けなくても、直径5ミリはある鍵穴から中が覗けますが)短い廊下があります。その右側にはトイレと洗面台、左側には六畳と四畳半の部屋が並んでいます。ちなみにこの二つの部屋は襖で仕切られ、奥の六畳の部屋に先輩が、年が若いものは手前の四畳半が与えられました。

3月下旬の引っ越しの日は、随分暖かかったことを覚えています。運び込もうと思っていた暖房器具は、置く場所もなくあきらめました。

そして、春の日の寒暖差に襲われるのです。

「2022年4月21日撮影 ここに東本願寺室町役宅がありました。新たにはスーパーマッケットが建つとのことです」

1987(昭和62)年3月31日、明日が初出勤だと緊張していたその日は、突然に寒くなりました。夜になると京都らしく深々と冷えてきます。たまらず早々に布団に潜り込みましたが、目は冴えたままです。

やがて、午前0時を迎えました。すると「ポーッ!ポーッ!」と汽笛が聞こえます。梅小路蒸気機関車館からでした。国鉄が解散しJRとして分割民営化されたその日でした。ニュースで見ていた出来事が急に身近となりました。一つの時代が終わり新たなスタートが切られた日であったのです。そう、始まれば終わり、終わりは始まりなのです。これをお釈迦様は「無常(常ならず)」と説かれたのでしょう。そんなことを考えていると、ほんの少しだけ力が湧いてきて「一緒に一歩を踏み出すか」と眠りに着くことができました。

明けた初出勤からは怒涛の日々です。ちなみに1987年4月2日は、大谷派宗門として初めて「全戦没者追弔法会」がお勤まりになった日でもあり、やはり大きく時代が動いた瞬間であった、と知ったのは随分後になってからです。

そして、今はもうないこの役宅、慣れれば慣れるほど、どこよりも心落ち着く場所になっていきました。やはり住めば都でありました。

さて、あれから35年。本当にいろんなことが始まり終わり、終わり始まりました。私はなんとか変わらぬ「無常」を生きています。

娘にはどんな将来が待っているのでしょうか。もしかしたら「後悔しない」ということはできないのかもしれません。それでも、コロナ禍の中、信じられないことに戦争までが起きる激動の中、じっくりと丁寧に自分の将来と向き合ってもらえればと思うだけです。

おしまい(山雄竜麿)

獅子吼のコラム 2022/04/10

東日本大震災から11年が経ちました。全国各地の有志の寺院では、「忘れることなく、犠牲者に思いを馳せて、今後も復興と支援の思いを繋いでいきたい」という願いで、毎年3月11日に「勿忘の鐘」をつき、法要が勤められます。勿忘(わすれな)という言葉の意味は「忘れることなかれ」。この言葉からいつも思い返されることがあります。

大震災発生からしばらくして、仲間たちと仙台に向かいました。仮設住宅で、現地の方々に大阪名物たこ焼きを食べてもらいたい、少しでもお役に立ちたいという思いでした。現地では色々な方と話をし、感謝の言葉も沢山いただきました。住民の方からは「大阪で何かあったら、今度は俺らが行くから」と言われ、片付けまで手伝ってくださったことが印象的でした。夜になり、用意した材料が全部無くなったので帰ろうとしていると、仲間の一人がこう言ったのです。「昼間、この集落に移動販売の車が来てたけど、俺らが無料でたこやき配ってるのを見て帰ったわ。売れへんもんな。移動販売の人も復興者やのに、あの人の生活を奪ってしまったんやな」。それを聞いてドキッとしました。「配る」と「奪う」は背中合わせにあることを教えられたのです。

日常に戻って、常にそのことを心に保ったまま生活しているかというと、そうではありません。すぐに忘れてしまいます。でも、だからこそ思い出すことが大切なのでしょう。折にふれて、勿忘という言葉から「また忘れてないか?」と問いかけられているように思います。

(森広樹)

獅子吼のコラム 2022/03/25

カラフル

 すっかり春めいて、街中の色彩も華やいできた。暗色からカラフルな装いへの転換期。そんな陽気に浮かれてブラブラ歩いて散策、ついでに電車に乗ってみた。

 しばらく電車に乗っていなかったので、今の車内事情がよくわからなかったのだが、ホームに入ってくる車両にフッと目をやると、飛び込んできた「優先座席」!

 そろそろ席を譲られそうな年齢に達してきたせいだろうか?

 いや、まだまだそんな歳ではないはずだ、と勝手に思いながら、チラチラ目を向ける。

 ん?この車両の「優先座席」の位置が自分の記憶とはちょっと違うし、シートがやけにお洒落、カラフルである。おぼろげな記憶では車両の端にシルバーのシートが設けてあったように思うが、今は車両中央にお洒落なシートが据えられている。

 そもそも優先席は1973年9月15日敬老の日に誕生し、シルバーシートと名づけられ高齢者と身体障がい者の為として設置されたとの事。敬老の日が誕生日だとは成る程と納得する。現在ではピクトグラムに表されてる方々、「お年寄りの方」「からだの不自由な方」「内部障がいのある方」「乳幼児をお連れの方」「妊娠している方」が優先的に使用できる。その上、海外の方にもわかりやすく丁寧に「日本語」「英語」「簡体文字」「ハングル文字」で表記されている。

優先だから空いていれば座れるのだが、必要な方が居れば、当然即座に譲ろう。譲られるかもしれないが。

 それにしても、優先座席が車両真ん中にあり、お洒落なシートに変わっていく、片隅に追いやられていた人に目を向け、彩りを添える。素敵な発想!JRお見事だ。

 多様性社会と言われて久しい。優先座席に象徴される表層的多様性ももちろんであるが、同時に互いの価値観や嗜好等に現れる深層的多様性に関しても、身近な事柄ひとつひとつに目を向けながら、ココロにカラフル(多彩)な装いを纏(まと)いたいと思う1日であった。

(三好泰紹)

獅子吼のコラム 2022/3/10

ちよっとお薦めの一冊、

『ネガティブ・ケイパビリティ』という本を読みました。

これは、帚木蓬生(ははきぎ ほうせい)さんという精神科医であり、作家でもある(今時はやりの二刀流?)方によってあらわされた「ネガティブケイパビリティ」、ちょっとしたブームの著書です。「答えの出ない事態に耐える力」という副題の通り、どうにも答えの出ない、どうにも対処しようのない事態に耐える能力。あるいは、性急に証明や理由を求めずに、不確実さや不思議さ、懐疑の中にいることができる能力、を意味するそうです。

顧みれば私たちの育ってきた環境は一刻も早く正確に答えを出そうとする方向の教育を受けてきました。職場では、てきぱきと仕事をこなし、判断し、他人にも指示が出せるリーダーシップなどの、ポジティブケイパビリティばかりを求められ、それをよし、としてきました。

今、ネット社会を中心に、短絡的にくだされた判断による誹謗中傷や、フェイクニュースによる被害などが大きな社会問題となっています。これらの問題を語るとき、「SNSなどがあるからいけない」、的な発言をよく耳にしますが、それは本質ではないでしょう。つまるところ使う人間の問題です。そんな時代だからこそ、物事はそう簡単に答えの出ないものにあふれており、善し悪しの判断など、とても時間を必要とすること、そもそも答えの出ないものの存在を知り、判断を保留し据え置く能力に注目が集まっているのでしょう。医療の世界だけでなく、教育の現場や、福祉、はたまたビジネス、様々な分野において、簡単に「分かったつもりになろう」とする私たち人間の脳の特性は「共感」することを拒み、傷つけあい、生きづらい社会を生み出してきたようです。そのことに時代がやっと気づきだしているのかもしれません。

『歎異抄』の「善悪のふたつ総じてもって存知せざるなり」の言葉が思い起こされます。これは、「ネガティブケイパビリティ」とは、似て非なるものです。なぜなら親鸞聖人のこの言葉は「私は善悪についてはまったく知らない」といっているからであります。その善し悪しが言えるとしたなら如来の心に思っておられるほどに知っているのならいえるだろうけども、と。「ネガティブケイパビリティ」の方はやはりそれも自分の能力ととらえるわけですから単純にこの二つを結びつけようとは思いません。

しかし、物事を簡単に分かったようなことにして切り捨てていくのではなく「分からないけれどこれは大事」と気づくこと。今の時代にとても大切なことだと思うのです。寺離れが言われて久しく、真宗の教えが伝えにくい時代を迎えていますが、こういう方向の考え方に人々の目が向き始めている、ピンチはチャンスかもしれませね、お薦めです。

いつの時も人は真実を求めて生きているのだと、改めて気づかされた一冊でした。 (宮部渡)

獅子吼のコラム 2022/1/15

「新たな年を迎えて」

今年も新たな1年を迎えることができました。

これは当たり前ではなく、とても有難いことなのですが、子どもの時や学生の頃は新年が始まることにワクワクドキドキしていたはずなのに、ここ最近は1年間何をしていたんだろう、とか、また年が変わってしまうのか、とちょっと憂鬱になることもあります。

『もうすぐ今日が終わる やり残したことはないかい

親友と語り合ったかい 燃えるような恋をしたかい

一生忘れないような出来事に出会えたかい

かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい

(略)

またすぐ明日に変わる 忘れてしまっていないかい

残された日々の短さ 過ぎ行く時の早さを

一生なんて一瞬さ 命を燃やしてるかい

かけがえのない時間を胸に刻み込んだかい』

これは「かりゆし58」という沖縄のロックバンドの「オワリはじまり」という歌の歌詞の一部です。

子どもの頃とは違って、感動や新鮮さがなくなってきた毎日を大切にできていないなと思った時に聞こえてきた、大好きな曲でもあり、胸に刺さる歌詞です。

私たちの生きているこの世界は、常に移り変わる「無常」の世界です。

常にとどまることはない無常のいのちだからこそ、丁寧に生きていきたいのですが、自分も周りも大切にできず、何となく終わってしまった1日を後悔することもたくさんありました。

15年ほど前に大好きだった祖母が亡くなったのですが、最後に祖母に向かって言った言葉が、喧嘩をしたのか「うるさいな」の一言でした。

次の日謝ろうと思っていたその前に、倒れて亡くなってしまうとは思いもしなかったとはいえ、今日が最後でいい、これが最後の言葉でもいいという生き方はなかなかできません。

『残された日々の短さ』に気づかず、いつでも、自分にも家族にも明日があるとしか思えない生き方なのです。

『かけがえのない時間を』大切に過ごすことのできない自分の姿を教えられながら、新しく始まっていく年を、阿弥陀さんの前で迎えさせていただいております。(松尾陽子)

2022年1月1日

『亡き父から願いをかけられて』

 冬になると実家の本堂の寒さを思い出します。父親にとにかく一緒に座れと言われ小学生のころから朝の6時からのおつとめ(お朝じ)が日課になりました。子供の頃の朝の6時は早い。特に冬は寒くて布団から出るのがつらい。結局本堂に参らなくて父親に叱られたこともたびたびありました。

 そんな小学生の頃は仏さんというのは願い事をかなえてくれるものだと思ってました。当時父親にそのことを話すと「かなえてくれるかどうか好きなだけ阿弥陀さまに願い事をしてみなさい」と言われので、お年玉たくさんもらえるようにとか、雨で運動会が中止になるようにとか数え切れないほどの都合のよい願い事をしました。

 それで中学生になると父親に「どうだ。願い事を阿弥陀さまは聞いてくれたか」と聞かれ「何をお願いしても何を頼んでも、全然聞いてくれないのがうちの阿弥陀さんだということがわかった」と答えました。そしたら「自分の願いをかなえるよりももっと大切なものがあるんだよ」と言われましたが、その時はそれは何だろうと子供心に思ってました。大人になり聞法を重ねるにしたがって、欲望をかなえるのでなくて罪深い自分の姿を気付かせて下さるのが阿弥陀さまだと分かりました。それが分からないから私たちは自分の都合のよい願い事をするのでしょう。

 願い事というのは自分の思いを満たすためにするものですが、そうでなく子供に対する親心というものを考えてみると、私には2人の子供がいます。長女は家を離れ仕事に就き一人暮らしをしています。しかし親は子供が離れれば離れるほど心配し護るのが親心でしょう。ましてや仏さまは私たちがお願いしなくても護念し続けて下さっている。亡き父から今も願いをかけられている私です。〈松尾智仁〉

難波別院に就職する前日に父親と撮った写真です。丸坊主にしました。40年前の写真です。